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朧なる月の如く【1】

02

(――…浅い)

 利き腕を一合で斬り潰され、馬の背から転がり這いつくばる相手を、切れ長の瞳がちらりと見下ろした。無感動な視線はすぐに逸らされ、一瞬後には駿馬の蹴散らす塵だけがただ舞い残る。この追手にとって幸運なことに、戦意を喪失しきった小悪党程度、敢えて止めを刺す必要もないと判断したらしい。既に十名だかそれ以上か、あっさり屠り除けた痩身の若者は豪胆にも、この煩わしい作業に飽きすら感じ始めていた。

(潮時、だな)

 胸中で呟く、白面の秀麗さはちょっと類がない。涼やかな挙措と合間って典雅と賞すべき程であるが、こんな時でさえ些かの乱れも表さない分、今はむしろ怜悧を超えた冷酷さが勝る。その風体からして大身貴族の子弟であることは一目瞭然、けれど行く手に幾重も覆い被さる筈の木立を苦にもせず馬を駆る様は、何とも尋常ではなかった。騎馬の妙技も鮮やかに鋭い太刀筋の疾さも、事に際しての駆引きも度胸も全く似つかわしくない程に武人のそれであり、いっそ儚げな風情に秘した驚くべき実力を野蛮な無法者どもが侮り惑わされ、瞬殺されるのも道理であろう。実際、けちな盗賊ごときに想像にも及ばない、苛烈な運命を彼は負って生きている。

(否…遊びが過ぎたか)

 滑やかな頬を淡色の髪に嬲らせながら、思い返せば愚かな己の酔狂を、曹丕は嘲笑わらった。

 思いもかけず鬱蒼と、起伏の激しい林中。こんな悪路ですらまるで更地同様に疾駆してみせる技量をもってすれば、 たかが野盗の数騎程度、些かの接触も許さず引き離して帰途に着けただろう。ならば本来無用のこんな殺戮劇は全く軽率な愚挙であると、曹丕の明晰な理性は無論、十分に弁えている。しかし危険かつ物騒なこの「遊戯」に臨んで軽く笑い飛ばすことが出来るだけの自信と戦歴、獰猛な牙をもまた、この公子は合わせ備えていた。あたかも多勢に追い込まれて逃げる風を装いながら、今この瞬間、狩人は紛れもなく曹丕の方なのである。

挿画アリ


May 23, 2006 | 09:54 PM

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