痛みも傷も、貴方が与えて呉れると云うのなら。


 生来色の薄い双眸が、冴えた月明を映して黄金に光る。
 まるで月が二つ増えた様だ。戯けた感嘆を抱きつつ呆と眺めれば、存外すんなりした指がつと伸びた。
「――残ったな、これ」
 掻き分けた髪の奥、左眼にはしる傷痕を辿る仕草は無遠慮だが、気にもならない。今更触れても痛む訳でなし、そもそも目前の相手の為に付けた様なものだから、好きにすれば良いのだ。
 古い傷。拷問の爪跡。もう随分昔の話だと云うのに、灼ける痛みも、視界を奪う血液の生温さも妙に鮮明だ。屈辱の痕だと他人ひとは憤るが、そんな実感は余り無い。むしろ、
「女性ではないですし。箔が付いて良いでしょう」
 その程度のものである。どんな暴力も悪虐も、心底屈しなければ失うものなど無いのだ――そう教えたのは他でもない、この主君の生き様で。
「嘘付け。雨の日とか夜とか、不自由そうにしてる癖に」
「……そうですか?」
 それでも、不服そうに眉を顰める青年に、そんな自覚は無い様で。
 確かに。傷付いた眼球は、極端に視力を損なった。それに引き摺られてか、右眼の方も徐々に見え難くなっている様に思う。それでも、光源さえ確保出来れば生活に左程の支障が出るではなく、暗闇での不如意を取り繕う術にも大概慣れたつもりだった、のだが。
「馬鹿にするなよ。そんなの、見てれば判る」
 曖昧な物言いが気に障ったのか。
 半端な誤魔化しは赦さない、見逃してなどやらないと。真っ直ぐに射抜いてくる苛烈な瞳に、背がぞくりと粟立つ。――それが誘惑だとって居るのか、居ないのだか。
 陽に灼けた肌が、皓い明りを弾いて淡く光る。妙に月が良く似合う――主君でもある幼馴染をそう評した、青年の言葉がふと蘇った。思えば己も暗い監獄、穿たれた隙間から僅かに望む月を、この存在に奇しくも擬えた。闇に差込む、一筋の救いひかりを。
「――問題は、有りませんよ」
 知らず、呑んだ息を小さく吐いて。
「お前の『大丈夫』は信用出来ない」
 嘘偽りでも労りでも無い告白はけれども、許容しては貰えない。半眼で腕組み、憮然とした口調は本当に予想通りで、内心苦笑してしまう。
「……それは心外」
「とかって、しれっと言うトコが嘘臭いんだよっ」
 日頃の行いの悪さを的確に指摘されて、反論も出来ず。成程と大人しく肯いた顎に納得するなと緩い拳が入って、今度こそ本当に笑った。処置無しと踵を返しかける相手を引き止めるでもなく、零す呟き。

「――これは、忠誠のしるし

 だから。

「消えなくて、良いんですよ」
「――――――」

 むしろ、そうあって欲しいのだと。
 微笑って吐き出した自侭な願望を見据えられて、身動きが出来なくなる。微かな木立の音までが妙に耳につく、こんな時間が永遠に続く気が少しだけして、倖せだと思った。

「………悪趣味な奴」
 沈黙を破ったのは果たして、苦笑なのだか溜息か。

「疑ったことなんか、ねぇよ」

 視線を逸らさず。揺るぎも無く告げた唇は、瞼を薄く掠めて離れていった。



「―――悪趣味、か」
 違いないと仰いだ天に、満ちた月。瞼を閉じればいつも、鮮やかに焼き付いた、迷わぬ瞳とそれは重なる。
 暗く、狭くなりゆく視界。
 それでもいつでも、あの輝きを見誤る事だけは有り得ない。
 まるで唯一、絶対の標である様に。周りが霞む分むしろ、明るく強く浮き上がる光。かけがえのないもの。――だから本当に、不自由はしないのだ。
「…と云っても、納得しては貰えないな」
 顛末は容易に想像出来てしまって、苦笑ひとつで早々に諦めた。あえて追わずにおいた背中、そもそも説得したい訳では無いのだ。相手の直情は良く知っている。己の卑怯な姑息さも。

 証拠など要らないと容易く言ってのける、愕くべき傲慢つよさ。
 それこそが惹かれて止まない所以、けれども知らず、右眼の傷を指は探る。自分勝手な想いの在処を、触れていった感触を、愛しむ様に撫でて。
 痛まない筈の傷、恍惚と疼くこの錯覚が、いつまでも残れば良いと。

「こんなもので、縛れる方でも無いでしょうに――」

 自嘲交じりの、それは確信。だから。
 心許無い拠り所でも必要と、頼って縋っているのは、私の方。
 浅ましくて惰弱な、解っては居るけれど――それでも。



 ――こんなにも唯、貴方のものなのだと。

 これが、証である様に。

縛られ囚われる悦び、と云うのか。
相手の全てを自分のものにすることが出来ないとわかっていて、何処か諦めている訳なのだけれど、
それでも自分はどうしようもなく相手のものなのだと。そんな幸せもアリかなぁ的な。
報われない、と云うだけではなくてやっぱり、幸せなんですよ。範策だいすきです。