夢 現

 雨が、降っている。
 春先とはいえ、その滴はまだ十分に冷たい。――冷たい、のだろう。
 雨に打たれ続けて冷え切った身体は、既に、温度を感じる感覚すら失っていて、はっきりとはわからない。それでも。
 
 ――まだ、足りない――
 
 眠っているかのようにも見えた、あのひと。その大きな掌の、信じられない程の冷たさを思い出す。
 どれ位の間こうしていたのか――それすら、自分でもわからない。
 長かったのか、短かったのか。
 これまで誰にも見とがめられなかったのは――誰もが、自分の激情を制御するので精一杯であるせいなのだろう。誰一人の、例外もなく。
 閉じていた瞳を開く。
 それでもなお視界が暗いのは、雨天のせいではない。
 
 ――貴方が、いないから。
 
 痛い程の静寂。館中を、途方もない喪失感が包んでいる。
 もう会えないのだと、頭でだけは理解している。嫌になる程に。
 乾いた瞳。涙は出ない。きっと一生。
 …あのひとなしでは、泣くことすらできないのだ、自分は。

「――どうして」

 声に出して、呟く。
 もう何度繰り返したかしれない、疑問符。
 ――繰り返したところで、どうにもならない。軽く苦笑する。
 こんな時でも笑える自分に、吐き気がした。
 そう長くは、保たない。――それは、限りなく確信に近い、予感。


 ――わかっているのだろうか、貴方は。

 ――貴方がいないと、私は。




「――瑾…公瑾!!」

「!」

 呼びかける声に、周瑜は覚醒する。顔を上げると、覗き込む孫策の心配げな表情があった。とっさに、状況が把握できない。
 ――今、自分は。
「おい、大丈夫か、お前?うなされて…具合でも悪い?」
「――あ…」
 そう言って、孫策は周瑜の頬にそっと触れる。その暖かさに、周瑜は落ち着きを取り戻す。――いつものように遠乗りに誘われて。見晴らしの良い丘、並んで寝転んだ。そして。
「…公瑾?」
「――夢、を…見てた…」
 ――そう、夢。どんな夢だったのか。今はそれすら思い出せないけれど。
「夢ぇ!?」
 何だよ、おどかすなよな――怒ったように、しかしそれ以上にほっとしたように孫策が呟く。
「……御免」
 苦笑する周瑜。
 ――いい年をして――自分でも、そう思う。
 けれど。

 伯符の声が。大きな掌の熱さが、こんなにもうれしいのは、何故だろう。
 切ない程に。

 ――泣きたい程に。

「――な…!?公っ…」
 知らず、涙がこぼれる。それを見て、孫策があわてふためく。
「どっ…どうしたんだよ、お前っ…!」
「…ご、ごめ――…わからな…っ…」
 相手を困らせているのはわかっていたが、どうしてもとまらない。泣いたことなど、久しくなかったというのに。

 ――たかが夢。もう、思い出せない。なのに。
 一体、どうして。

「――だーっ!もう!!」
 とめどもなく涙を流し続ける周瑜を前に、しばしおろおろしていた孫策が、一声叫んだ。そうして、少々乱暴に周瑜を抱きしめる。
「――!」
「ただの、夢だろ?――この俺がいるんだから、心配ないっ!さっさと泣きやめって!!」
 傲慢にも聞こえる、命令口調。痛い位に背中に回された、力強い腕。
 全てに確かな心情を感じとって、周瑜の表情が自然に和らぐ。柔らかな、微笑。
「……うん」
「おしっ!」
 孫策の、いくらか照れたような全開の笑顔に、安堵する。
 ――もう、大丈夫。何の疑問もなく、そう思える。
「――伯符…私は」
「え?」
 周瑜は答えることなく、孫策に身体をあずけた。
 そこから先は、言わない。きっと一生。…言う必要もないことだ。

 貴方はいつも、ここにいるのだから。



 ――伯符。私は。

 ――貴方が、いないと――……

目覚める前が夢なのか、そもそも全てが夢なのか。…それとも。
初期に創作した話につき、周瑜がちょっと儚げ繊細すぎるかもしれない。
今書くならかなり別なテイストになりそう、もっと前向きで一途で熱いイメージが付加されてます(笑)