刻 印

 「…は…あっ…」
 この上なく甘い、熱い吐息を吐き出すと、曹丕は体中の力を抜いた。細く白い腕が、牀の上に投げ出される。存分に昂められた後の、対照的な喪失感。麻薬にも似た疲労に、肉体からだ意識こころも委ねようとするかのように、その長い睫毛を伏せる。
 そんな主君の様子に、司馬懿は軽く目を細めた。そうして、残酷なまでの快感の余韻を残した曹丕の、しなやかな裸体を抱き寄せ、その瞼に口付ける。その仕草は、先程までの激しさとは比べようもなく柔らかい。
「――無理を…させてしまいましたか?」
「…何を…」
 今更、と。耳元で囁く低い声に、曹丕が答える。熱を持った瞳で司馬懿をねめつけて。
「まあ、いい。…どのみち、明日からはゆっくり眠れる」
「…子桓さま」
「今宵は、お前の好きにするがいい」
 言って、その端正な唇の端に微かな、皮肉めいた笑みをのぼらせる。冷酷そうにも見えるその表情は、限りなく艶やかで――扇情的で。背筋を走る激しい欲望の命じるままに、司馬懿は、曹丕の肌に唇を這わせた。常以上に過敏になった身体は、その熱い感触を余すところなく感じ取る。白い咽喉が反り、極上の媚薬が、微かな喘ぎとなってこぼれた。



 地方の、小勢力の叛乱。司馬懿は、その鎮圧のために従軍することが決定していた。出立は明朝。大きな戦になる見込みはないが、それでも。
「――ひと月…といったところか」
 快楽の波が、幾度となく過ぎ去った後。ようやく主君を解放して、衣服を整える司馬懿の背中に、曹丕が呟く。
「…おそらく」
 気だるげに牀の上に身を起こすと、曹丕は、振り返って一礼する臣下に向かって手を伸ばした。しなやかな指が、司馬懿の胸を辿る。文官には似つかわしくないとも言える、無駄のない引き締まった身体。そこには、激しい交わり故の、曹丕の爪による傷が数本付いていた。
「その頃には、消えているだろうな、こんな傷は」
 そこから僅かに滲む血に指先を染めながら、曹丕が氷のような微笑を見せる。
「せいぜい早く、カタをつけてくるんだな。――俺が、お前を忘れないうちに」
 ――傷が消えてしまうように――そう言って、至近距離から見上げてくる曹丕の表情は、冷艶という表現がこの上なく相応しい。抗いようもなく魅せられ、引き込まれる。しばしの沈黙の後、瞳を閉じた司馬懿はおもむろに、傍らに立てかけてあった剣をとった。
 そうして。

「――では、消えない刻印きずを」

 静かに言い放つと、自らの腕に鋭利な刃を走らせた。
「……!」
 深い刀傷からとめどなく滴り落ちる紅い液体に、曹丕が思わず瞳を見開くが。
 当の司馬懿は、それを一顧だにしようとせず、ただ曹丕を見つめている。
 感情の顕われない、怜悧な面。その瞳は深く、一見静かなようだが、確かに底知れぬ光が宿っていて。そこから読み取れる感情は、強く激しく――身を焼く程に、熱く。
 常の相手の振る舞いからは考えられない、激情。自分だけに、見せる。
 ――他の者が見たらさぞかし驚くだろう。
 想像して、軽く失笑する。司馬懿に向けられた美麗な面には、微笑がたたえられていた。それは、先程までとはうってかわって――柔らかく。
「――成程。これなら、ひと月は保つな」
 言って、司馬懿の腕を取ると、曹丕は傷口に唇を寄せた。
 流れる血が、熱い。その、手の冷たさとは対照的に。それは、この男の内部なかの奥深くに潜む、熱情を連想させて。

 ――悪くない。

 そうして、司馬懿をまっすぐに見据えて、言う。
「気は長くないぞ、俺は。……判ってるな」
 だから――と。口にはしない、続く言葉を、曹丕の眼差しに感じ取って。

 ――御意。
 答える代わりに。司馬懿は、主君に深く口付けた。

これも初期に書いたSS。
本当に全くヘタレない司馬懿さんに、今となっては驚きを隠せません(笑)
まあヘタレる程に長くないってこt(禁句)