「……ん」
掠れた呟きが小さく耳を打つ。苦し気な身動ぎに覚醒して其方を伺い見れば、僅か顰められた眉。
強張って縮こまる背を宥める様に撫でると、安心したのだろうか、表情が徐々に和らぐ。
そんな様子に酷く救われるのはむしろ、私の方。
規則正しく上下する胸。微かに震える長い睫毛。
埒も無い言葉の断片。惜しげなく預けられる頭の重さ。
触れればまるで、幼子の様に縋ってくる白い指。
こんな時間が一番好きだと、思う。
あどけない無垢な表情に、腕に感じる温もりに、何故だか無性に泣きたくなる。
ああ、愛しいのだ。
それは理屈では無く。
体の最奥――おそらく魂とか呼ばれる様なそんなもの、促されるままに呟けばただそれだけで如何し様も無く、胸は満ちて溢れてゆく。
堪らず。眠りを妨げぬ様に砕心しながら、華奢な身体をやわりと抱きしめる。
胸元を掠める柔らかな吐息。貴方は今、何を夢見ているだろう。
黄帝が夢に遊んだと云う、華胥の国。
全てが自然のまま、物欲も愛憎も存在せず、生死にすら煩わされることが無い――理想郷。
腕の中の、至高の存在に囚われ続ける事を望む強欲な私にとって、その様な国は決して楽園になどなり得ない。
それでも。自らを重い鎖で縛るこの方の、強くて脆いその精神
例え僅かでも一時でも。そんな境地が救いになると云うのなら、それも良いと。
安らかな寝顔に、心から思う。
どうか、佳い夢ばかりが訪れる様に。願いと共に額に口付け、瞳を閉じた。
刹那に過ぎゆく、幸福な夜。
貴方の為に、胡蝶を追う幻想
「華胥の夢」は『列氏』の故事から。
華胥氏の国とは、「君主だの首領だのというものはなく、人民にも嗜欲がない。
すべてが自然のままであり、ひとびとは生を楽しむこともなく、
死を悪むことも知らないから、
若死にする者などは絶えてなく、
己に親しみ人を疎んずることを知らないから、愛情の念も湧かず、
心に取捨選択することがないから利害損得の念も生じない」
「自然で平和な」「美しい胡蝶の舞う国」
「追いかけても追いつけない影の様な理想の国」らしい。
そんな何処か虚ろな理想郷よりも、愛するひとと在る此処
それはきっと司馬懿だけの気持ちではないと思うのです。