SCENE 5
















「―――…確かに」

 数十秒の、沈黙の後。
 語尾は殆ど叫ぶみたいに、息を乱した子桓を宥める様に、低い声が静かに紡がれる。

「確かにこれは、私のチョコレートものですが――」
「……っ」
 気になった、知りたかった、問い質したかった―――――……聞きたく、なかった。
 仲達の応えに、子桓は思わず怯んだ。
 考えてみればこんな感傷は我侭でしかないのだろう、
 仲達にも「誰か」にも想いがあって、全てを束縛出来る筈も無い。それでも。

 ――それでも如何しても。


 己の醜い独占欲を、嘲笑ってしまいたくて。
 子桓が知らずきつく握った拳に、冷たい指が触れてくる。
 びくりと震えるのを、逃がさず重ねて包み込むと、仲達はゆっくりと続けた。

「出来れば…子桓様に貰って頂きたかったのですが。――そのつもりで、用意した物ですから」




「…………え?」




 一瞬。
 意味を捉えかねて、子桓は呆けた。
「え、え…?――俺…?」
「はい。子桓様、甘い物お好きでしょう?評判の店と聞いたもので、時節柄。ですが――」
 口に出来るのは埒も無い応答だけ、未だ混乱の収まらない子桓とは対照的に。
 先刻までの切迫した表情は何処へやら、弁明を続ける仲達の面には穏やかな微笑が宿っている。
「いざとなるとやはり気恥ずかしくて……どう考えても柄ではないですし。抽斗の奥にしまい込んだままにしていました」
「………そ、う…なのか………」
 柔らかな光を湛える瞳。
 耳に心地良い低音に、子桓はようやく平常心を取り戻す。
 安心したと云うか――気が抜けた、と云うか。 
「紛らわしい真似をして、申し訳ありません」
 ふう、と。思わず細長い息を吐く上司に、仲達が謝意を述べる。そして。

「……御気にかけて、下さいました?」

「―――別、にッ…!!」
 笑み含みの台詞に、子桓の白皙の頬が一気に朱へ染まる。
 こうして冷静になってみると、今日の己の行動はどれも如何仕様もなく恥ずかしいものに思える。
 指摘はまあ完全に図星で、それは当然相手にも知れている事ではあるのだろうが、
 それでも全面的に認めるのはあまりに居た堪れずに、子桓は最後の抵抗を試みた。

「別に俺は――咄嗟で、タイミングが…っ―――!?」

 慌てて言い募るその肩口へ。暗い色調の髪が、ふわりと寄せられた。軽く額を寄せ掛けられる格好に、戸惑う子桓の口上が遮られる。
「……な、仲」
「――すみません」
 互いの声が直に響く程の至近距離。華奢な肩に顔を埋めて、仲達は嘯く。
「少々眩暈が――倖せ過ぎて」
「!だから別にっ…!!」
「ええ」
 手放しで浮かれ倒す様子に憤慨、押し退けようとするも体格差は如何ともし難く。
 無礼者の手は今度こそ背中へしっかりと回されていて、振り解く事も出来ない。
「――私が勝手に、喜んでいるだけです」
 そのままの姿勢で首だけ傾け、子桓を仰いだ仲達は少し照れた様な、満面の笑みを浮かべてみせた。
 そんな男は本当に幸福そうで、自分はとても気恥ずかしくて――多分それだけではないのだろうけれどとにかく、怒気は敢え無く霧散してしまって。

「…………阿呆か…………」

 観念して小さな苦笑をひとつ、子桓のそんな悪態すら嬉しそうに甘受して、仲達は微笑う。
「でも、本音ですから。並んだ甲斐がありました」
「―――真逆…自分で買ったのか、あれ?」
「他に誰が買うんです?」
 聞き咎めて。怪訝そうに眉を顰めた子桓の問いに当然とばかり、しれっと答える仲達である。
「誰、って――…」
 ―――まあ確かに、他には誰も居ないのだが。
 それでも若い女性が犇めく洒落た洋菓子店、無表情不愛想なこの大男はさぞや、悪目立ちしたことだろう。
 そんな居心地の悪さを意に介する様な可愛気のある男ではないが、あまりの場違いさは想像するだに滑稽だ。
「……本当、お前という奴は……」
 堪らず吹出し、くつくつと笑いながら。
 身を屈めた子桓が、茶色の小箱を拾い上げた。
 床面に落ちた衝撃の為か、少し拉げた外装を剥がすと、カカオの甘い香りが漂う。
「子桓様、そんな…新しく買ってきますから――」
「それでまた見世物になるのか?――平気だ、味が変わる訳じゃない」
 頓着もせずにそう言って。
 パウダーシュガーが彩る生チョコレートの粒をひとつ、子桓は口内へ放り込む。
 ふわりと広がる上品な甘さと濃厚な香り。
 溶けてなくなる最後、ほんの少しだけ余韻を引く苦さに至るまで全く好み通りで、確かに嬉しいのだけれども何やら悔しい。
「…如何です?私は、甘い物は判らないので」
 気遣わし気に窺ってくる誠実さもまた心憎く、ふと湧上がる悪戯心。
 もう一粒、摘み上げた子桓はその指先を、相手の口元まで運んでやる。
「……試してみるか?」
「いえ…私、は――――………!?」





 応えて開いた薄い唇、小さな菓子を強引に押し込んで。
 苦手な味覚に顔を顰め、反射的に吐き出そうとするのを許さず、追いかけた唇で否応無しに蓋をする。
 息を呑む音。相手の動悸が一気に跳ね上がるのが識れて、とても小気味が良い。
 やはり甘いと、深く繋げた唇越しに子桓は思う。



「…………如何だ?」
「――――――――――」

 長い、長いキスの後。
 そろそろ赦そうと、漸く離れた恋人がみせた会心の、頗る蟲惑的な微笑。
 その意趣返しは酷く効果的で予測範囲外で―――あまりにも、刺激的で。



「………甘くて――出血しそうですよ………」



 殆ど再起不能の眩暈に溺れながら。
 夢現の男は如何にか、そんな感想だけを奏上した。





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