SCENE 2
















 ――何だ、これは。

 逃げる様に飛び込んだ室長室じしつ
 椅子の背に身体を預け、子桓は一人呆然としていた。視線は机の上、手帳サイズの小箱に固定されている。
 ブラウンの包装紙に、深い藍のリボン。
 その包装形態の上品さと手触りから、それなりに値打ちのあるものと知れる。意外と軽くて、持ち上げればかたりと音がした。
 ――何って、当然――
 何度も呟いた問いに、これまた繰り返し自答する。やはり先程と同じ答えだ。
 今は2月。日付は15日。
 つまり昨日は14日。即ち。

 ――チョコ…だろうな、やっぱり――
 
 どうやら世俗的な行事には疎いらしい子桓ではあったが、バレンタインというイベントの存在くらいは知っている。自分には無関係のイベントだという認識から、特別意識野に上らせる事もないだけで。
 それでもこの時期にこの種の包み、その体裁から見ても、それ以外の推察は難しかった。常識的に言って。
 ただ。
 ――仲達あいつにチョコ、ね…――
 見つけたのは間違いようもなく仲達の机、ということは、どう考えてもこのチョコは彼の所有物である。その事実は疑う余地もなかったが、それでもどうしても、奇異感を拭えない。

 彼の一番の側近である司馬仲達は、決して醜男などではない。均整のとれた長身、切れ長の瞳に薄い唇、鋭角な横顔。他人――どころか自分さえも――の外見について無頓着、というか無関心なきらいがある子桓の目からはともかく、客観的にはそれなりに鑑賞に値する風貌であったろう。妙齢の女性方にしてみれば、尚更。
 とはいえこれらの恵まれたと言うべき外見的要素は、無愛想・無表情・慇懃無礼と三冠揃った陰険大王――郭伯益氏による評――と目される仲達の強烈な個性に凌駕されがちであるらしく、彼に関する浮いた噂が社内で囁かれることは皆無であった。
 子桓の父・曹操に直々にヘッドハンティングされたという経歴とそれを充分に裏付けする有能さ、ほとんど四六時中、上司である次期社長――子桓のことだが――に影の如く付き従う姿から、仲達を完全な仕事人間と見なす無垢な社員達も多かったが、それは甘い幻想というものだ(と子桓は言うに違いない)。

 ――まあ…仲達だって男なんだし、充分対象内なのだろうけど。
 それでもいまひとつピンとこないというのか、どこか腑に落ちない気分の子桓だ。何故そう思うのか、自分でもよく判らなかったが。まあ誰の目から見ても、あの男にリボンの小包は似合わないものであっただろうけれども。
 ――何だか、な――……
 吐息と共に、無意識の呟きが唇から零れた、その時。

「――子桓様」

「!!」
 扉の向こう、訪なう静かで低い声――仲達。子桓は咄嗟に卓上の包みを掴むと、抽斗へと押し込んだ。殆ど入れ違いのタイミングで、長身の影が入室してくる。
「先程は失礼しました。今、お時間は?」
「――あ…う、ん…」
「例の書類でしょう。机の上に重ねてあったので、判り難くて申し訳ありません」
 何故か微妙に視線を逸らす相手にファイルを手渡しながら、卓上に散らばる統一性のない書類の束――適当に持ち出したのだから当然だ――に目を留めた仲達が、僅かに眉を顰める。有能な部下の抜け目の無さに、子桓は内心舌打ちした。
「―――どうか…なさいましたか?」
「な、んでもない――悪かったな、もういいぞ」
「ですが」
「いい、からっ――…!」
 椅子を蹴って。立ち上がり様、知れず大きくなってしまった声に慌てて口を覆っても、既に手遅れ。
 驚きを隠せない仲達の表情を確認して、子桓は狼狽えた。瞬間流れた気不味い雰囲気を、慌てて取り繕う。
「……とにかく、今はいいんだ。また、後で呼ぶから――」
「―――は…」
 上司のぎこちない台詞に、仲達は大人しく引き下がった。その口調も視線もとても納得したようには見えなかったが、とりあえず今は、子桓を落ち着かせるのが先決と判断したらしい。一礼して辞去を告げる。
 扉が静かに閉じると同時に、脱力したように椅子に身を沈めた子桓は、思わず天井を仰いだ。とにかく今回は、何とか危機を脱したらしい。―――危機?危機って、何だ、一体。

「………何を…やっているんだ、俺は………」

 冷静さを取り戻すべく、吐き出した問い。
 やはり、答えは出なかった。





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