春 待 月 * 十 二 月

 一面に煌くしろ
 眩んだ瞼を細めれば、ふと溶け消えてしまう華奢な背に、知らず懼れた。


「―――真っ、白。」
「……何だい奉孝。藪から」
 周囲の静寂を存外乱したらしい呟きに、優美な人影がゆるりと振り返る。細い面が形造る柔らかな表情は常の通り、 古く見知った筈の微笑だが、向けられる度に惑うこともまた変わらない。
 早朝の政庁。昨夜の内に降り積もった雪は未だ溶ける気配も無く、中庭を余さず覆っている。官の姿もまだ疎らな――自省すれば登庁していた記憶など殆ど無い、この時刻。庭先に一人佇む同郷の麗人は、おそらく既に一仕事済ませた後で。
「顔色ですよ貴方の。雪より白いくらいだ」
 思い出すのは桜の頃、淡い紅を映した白い肌。春の景色があれ程似合うのに、無彩色の世界もまた、まるで誂たように自然に纏う風情が不思議で、嘆息を禁じ得ない。
「どうせ昨夜も、いくらも寝てないんでしょう?」
「そんなことはないよ」
「他ならぬ荀兄の御言葉ですが、そればっかりは当てになりません」
「…存外、信用がない様だ」
 穏やかに緩む唇。柔らかな口調でやんわりと発せられた異議に、肩を竦めた。
「殊、この件に関してはね。明けても暮れても政務三昧、休息はとらない睡眠時間は削る。更に悪いことに、御自分のなさり様が無茶だとかこれっぽっっちも思ってないのだから、貴方は」
 顰めつらしい表情で責難してみる。苦言忠告の類など、全く自分の柄でないとわかっている。それでも、精一杯の努力。
 幕下中の誰よりも有能で、仕事熱心な尚書令殿。当に寝食を忘れたその日常は、周りの人間全てが危惧するところだ。それを知ってか知らずか、涼やかに凛とした風情を、当人が揺るがすことなど皆無だったけれど。
「あまり御一人で無理をなさるのなら、一日中傍に居て見張りますよ?」
「それは良い。有能な軍祭酒殿が居てくれるのなら、さぞかし楽が出来そうだ」
 これまた、らしくもない戯言。冗談で終わらせようとする相手の意図は、この際丁重に無視する。大袈裟に溜息を吐いて見せながら、脱いだ長袍を半ば強引に着せ掛けた。
「及ばずながら。さしあたってまずは、この寒空にそんな薄着で出したりなんて絶対にしません」
「…其方そなたの仕事をこれ以上滞らせては、長文に怒られてしまうな。気を付けよう」
 不慣れな諌言がかえって、功を奏したのかもしれない。苦笑交じりに折れてくれながらも、袍を返そうとする肩を押し留める。
「本当に。大事にして下さい。貴方の代わりだけは、誰も居ないんですから」
 ひらひら。包むように触れた細い肩は、周囲の賞賛も憧憬も心配すらも、優雅にかわしてみせるのが常で。
 滅多に無い機会だ。容易に逃がすまいと、声は自然に真剣になる。刹那、虚を衝かれた風に見開いた瞳が、ふ、と逸らされた。囁くように紡がれる、言の葉。
「……誰も…誰かの代わりにはなれないよ、奉孝」
「…荀兄?」
 躊躇う腕から。透けるように抜けた相手と、ほんの僅か離れた距離を、千里の果てと錯覚する。何故か見失う恐怖に 、一心に目を凝らす。
「だからこそ皆、満たされるし――…苦しむのだろうね」
「…荀――」
 多分、それは独白。
 白銀しろがねの地に、声音は謐謐と響き。たゆとう瞳が映すのは目前の虚空か、此処に居ない誰かの幻影かげか。
 惹き込まれて。一瞬詰めた息と共に留め様なく零れてしまう、呟き。

「……貴方、も……?」
「―――――」

 苦シイノデスカ?


 愚かな問い。求めたい筈もない、答えはわかっている。
 術なく立ち尽くし見つめる先、無言のままゆらり微笑う表情が、しろい光に茫と溶けた。
 厳然、或いは脆薄。常世のものとは思えぬ程、それは綺麗で切なくて。鼓動が、止まる。


「……子供でもないのだから、奉孝」
 くすりと。溜息に似た微笑を、佳人が零す。気付けば知らずその白い指を捕り、強く握り締めていた。
「――良いじゃないですか、偶には」
 こんなに寒いんだから。なけなしの虚勢で嘯くと、そのまま引いて屋内へと導く。
 酷く冷え切った、細い手指。支えたかったのか――縋りたかったのか。華の唇が落とす真白な吐息が幽かな謝意を示すのに、瞳を細める。情けないことに、上手く笑えた自信は全くなかった。
 早く、春が来れば良いのに。
 繋いだ指に、凍える吐息に、心から願う。――このひとにただ、温もりさいわいを。


 それでも。
 振り払わずに預けていてくれる掌を、ずっと離したくはなかったのだけれど。

嘉ケ。と云うか操→←ケ前提の嘉→ケだな…総片思い設定すみませんあわわ。
大人世代は大人である分お互い捨て身になり切れないと云うか臆病と云うか…
素直さ、直截さがなくてかえって歯痒い感じです。切ない。
郭嘉さんは荀令君がすごく好きなんだけど相手を想いやり過ぎて奥まで踏み込めないし、
令君の方に他人を安易に踏み込ませない雰囲気があると思う。
一種どこか怯惰な。凛と強くて大人で、万人に優しく誠実であることは勿論なんですけど。