私は果たして、克ったのだろうか。
それとも。
驚きは無かった。
既に三晩。玉体を冒す熱は下降する兆しも見せず、侍医どもの言を聞かずとて、事態の逼迫なら容易に知れる。今この瞬間も、かの生命
死ぬのだ。
未だ若いこの国の、始祖たる皇帝の命数はもう尽きる。
急報に応じ、各々任地に在った武将らも続々と馳せ集まり始めていた。暗く張り詰めた、密やかな騒擾の気配が都を満たす。城内警備の強化、諜報兵の増員、情報統制の徹底。来る混乱を最小限に抑える策は打った。後継の太子も、疾うに成人している。此処に至って為すべき事は既に無く、また成し得る事も無いと承知しながら、先達て諮った重鎮らの表情からは、流石に憔悴の程が色濃く見て取れた。曹真や陳羣といった、旧くからの寵臣にすれば無理からぬ事ではあろう。…それでは、私は。
驚きはしない。誰もが等しく、必ず何時かは死ぬのだ。この様な、緩緩と浚われる如き病状であれば、幾らか心備えも出来る分だけ重畳と云うものであろう。ましてや。
「既に、幾度も殺
ひそりとした寝室で、紡ぐ呟きは存外に良く響く。
侍臣は下がらせてある。更夜。加えてこの非常な状況下においてさえ、この程度の権限を行使し得るだけの地位と、信用なら既に手にしていた。如何なる類の述懐であれ、憚る耳目など今は無い。――否、咎める者が若し在るとするなら。
「…こうなっては、貴方とて如何し様も無いでしょうがね」
質す様に触れた頬が、酷く熱い。その侭、掌を不躾に滑らせた。汗に濡れて吸い付く感触。重く閉じた瞼は、開かれる気配も無かった。当然だ。この高熱では到底、意識など保てまい。たとえ一時とも目覚めたところで、正気などとは程遠かろう。聞こえている筈が無い、知れず短く喉が鳴る。
死ぬまでは。
この男が、死んだなら。
その思考は常に、意識の中に在った。倣岸なる足先へ跪く時も、嬌艶に誘う肌を掻き抱く最中でさえ、失せる事無く。
旧主亡き朝廷で、権力を伸ばすには。対抗する輩を如何に一掃し尽くすか。――この国を簒奪
幾度も、幾通りも。思索を只管
絶えず此方を量る様な、弄う様な。
峻烈な言動、氷点の視線なら容易く蘇る。気を抜けば即座に屠られる、斬り結ぶが如き錯覚を何時も感じていた。明らかに彼方とて同様の筈、その癖お互い、不穏な遊戲に飽かず興じ続けた。真意など知りはしない。退屈が好かぬとは彼の套言、つまりはそう云う事なのだろう。ならば幾らか理解は出来る、似た様な感慨なら此方にも在った。けれども。
賢
後事を託すと云う。昏睡する少し前、曹真らと共に招ばれ額付いた枕頭で、存外確然とした遺詔に動じなかったと云えば、嘘になる。
待ち侘びた筈の、この秋
敢えて面を伏せ黙した侭の私を結局、病床の主は咎めも詰りもしなかった。ましてや、縋る素振りなど欠片も見せずに。死を前に、心弱る性とは思えない。当てに成る筈も無い、虚飾塗れの誓約を欲しがったのだとも。だとすれば、要は。
「……私には、貴方を理解
誰よりも、近くに在ると思っていた。それが恐らく、致死の領域であるとしても。…最期の最期に、此方の予測を手酷く裏切って呉れたものだ。伸ばした指に知らず、力が篭る。触れた肌は矢張り、微動だにしない。
私を殺すか、懇願するか。縛って逝こうとするならば、身を賭け抗う用意は有った。全てを壊し、断ち切る為の覚悟が。頭上へ永く君臨して来た男に、自ら打克つ。それこそが紛れも無く私が欲した野望であり、当然そうであるべきだった。
まるで白昼の幻の如く。某かを追い求めた掌が虚しく空を掻く、手応えの無さに心が惑う。永劫に掴めぬと云うならいっそ掠めた指ごと、斬り奪
「――…陛下」
拒絶する様に、閉ざされた瞳に知らず焦れた。全くの終りまで、此方を慮る積りは微塵も無いらしい。
熟々
「もう一度、私を」
口を突く歎声に、応
何
時代が終わる。精査を重ねた逆謀は最早条理に近く、この先は脳裏に敷いた道程をただ、踏藉して征
此の侭、朝が来なければ良い。
今暫くは如何しても、立ち去り歩めそうに無い。佇み竦んだ私は刹那、愚かにもそう夢想した。
イベントで無配した曹丕崩御話。暗くて申し訳ない。
思えば司馬懿一人称話は結構書いている気がしているのですが
司馬懿視点だと懿丕と云うより懿→丕片恋風味が際立ってごめんなさいな感じです。
何やらやたら淡々と呟いてる司馬懿さんではありますが、深層心理では永劫、
相手に縛られて繋がっていたいと望んでしまってたりすればいいな、と。