観 月 夜

 深淵のくろを其処だけ、抜いて染めたが如く。

 しろく蒼く瞬く正円、
 言い表すに相応しい麗句を習慣的に探して、結局は止めた。
 偶には悪く無い様な気がした、
 技巧を凝らした詩想で讃えるで無く、飾らずただ呆け眺めるのも。

 ――彼奴の無粋が、感染りでもしたか。

 木石を絵に描いた様な、陰鬱な面が脳裏に浮かぶ。
 情緒的な興趣から全く無縁なあの男にすれば、
 遥か天空に座す嫦娥がひかろうとも欠けようとも、幾許の感慨にも成らぬのだろう。
 精々が闇夜は大隊の行軍には向かぬとか、緻密な奇襲ならば一考だとか、
 まるで面白味の無い所感を抱くのみ、いっそその存在からして関心せぬに違いない。

 ――一度、何やら詠ませてみせるも一興だな。

 流石の鉄面皮も、些かなりと辟易するだろう。

 次の望月が愉しみだと、
 他愛も無い悪計たわむれにひとり、微か笑った。





 扉を開けたその瞬間、外界のしろに思わず眩んだ。


 書庫の謐然たる闇に永く慣れた視力は刹那、役にも立たぬ。
 僅か舌打ち、脳髄へ無数に呑み込んだ文字の精撰もこの際兼ねるかと、
 寝室へ向かう足をしばしとどめて欄干に凭れた。
 眇めた眼を徐々に凝らせば朦朧ぼやけた足元、造られた翳が濃さを増していく。

 ――此処まで照れば、昼中と然程変わらぬな。

 無用な手燭を吹き消すと、名残の白煙が空へと立ち上る。
 何気なく追った視線の先に、煌煌と円い秋の月。
 今宵は佳い月になると、稀にも上機嫌な呟きを思い出す。
 風流を好む公子も今頃、満ち満つ玉桂を鑑して居るのだろうか。
 溢れる詩才に任せ、麗雅に詠い褒ずるだろうか、……或いは。

 ――一夜の情人ともなり気紛れに惹き招く、か。

 そうだ、思えば。
 同じく佳月の晩だった、主の褥を初めて訪ったあの夜は。

 痺れる程に甘い香の馨。
 窓辺に細く差し込む仄明り。
 滑やかな肌、柔らかく触れる髪を。
 情欲に揺れる瞳を、艶然と笑む其の唇を、
 皓く蒼く、誇る様に映えひからせて与えて奪って、



 ―――…埒も無い。



 知らず。
 追憶に溺れ詰めて居た息を、苦味と共に吐き捨てる。
 月は狂気を呼ぶのだと云う、
 掻いて乱され疼く劣情ごと、持て余す眼を堪らず背けて。
 塞いだ瞼、鮮烈なまでの残像に、
 愚かしき欺瞞を思い知らされても、其れでも。


 無慈悲に注ぐ月の光。
 過ぎ行きし熱の余韻の中で。
 未だもう暫くはこの儘、逃れ去る気に成れそうも無かった。

某方の美麗イラストに触発されて書いた短文。
月にそれぞれもの想う懿丕、前半曹丕で後半司馬懿仕様です。
物言わぬ月を挟んで、離れていても何処か近くに居る様な。
噛み合わなかったり認めず足掻いてみたりとすれ違いつつも
やっぱりある意味確かに繋がっていて、決して逃げられはしないのです。