滔々と流れ、するり斬り払う。まるで舞踏のように美しく、同時に凶悪なまでの速さと鋭さを併せ持つそのシャドーは、ボクサーならずとも見る者全てを感嘆させるだろう。暴圧かつ絶対的なパワーをこそ身上とする千堂であっても、それは確かに例外ではない、けれども。
「つくづくおもろない男やなあ、キサマ」
きっちり着込んだ黒ジャージの上下、細い顎へ伝う汗を指先で弾く背中に、千堂はしみじみと述懐した。何とも唐突かつ不躾な発言ではあるが、西の言葉を操る放埒な声音はその分からりと明け透けで、陰湿さとは全くの無縁だ。一種の人徳と呼ぶべきか否かは判断の難しいところ、しかし人懐こさが過ぎていっそ厚かましいこの男の放言をいちいち咎めていてはきりがない。果たして視線をちらりと流したのみで、宮田の足はまた軽快なリズムを刻み始めたのだが――千堂としては、その態度こそ気に食わないらしかった。
「…な?こっちが話しかけとんのにいっつもその調子や。前から東京モンは愛想ないて思うとったけど、キサマはシャレにもならんわ」
宇宙人ちゃうんか、とまで腐されては流石に聞き捨てならない。クレバーに見えて実は誰より気が強い――彼の性格を最も良く知る父親の評であり、それは完全に真実だった。左の連打に合わせて、宮田は徐に反撃を開始する。
「…ボクサーに愛想が必要とは思わないね」
「こみゅにけーしょん、ちゅうやっちゃ。こんなご時世やからこそ、お互い理解し合おうっちゅう姿勢でいかんと」
らぶあんどぴーすやな。浪速の虎がドヤ顔で披露した関西訛りのジャパニーズ・イングリッシュは、残念ながら東洋の雷神の前髪にすら掠らなかったようだ。
「何のアポもなく好き勝手ジム破りして回る奴の台詞とも思えねえけど」
「…ホンッマ、可愛気ないわ」
ああ言えばこう言う。仮にも年長の相手を敬う気配が欠片も伺えない物腰に、千堂は思い切り唇を尖らせた。尤も、当の千堂からして敬重を称えられる気性などでは全くないのだが。
OPBF王座統一戦で負った宮田の傷も癒えようという頃である。パラリと開いた「どつくリスト」にその名を認めた折、こいつとはドッチラケや、思きしどつき倒したかったわと何気なくぼやいた言葉へと、過敏に反応したのはむしろトレーナーの方だった。曰く、放っておけばいずれ単身乗り込みかねないだの、そもそも先日しでかした非礼の詫びが未だ充分ではないだの。至極それらしい理由を列挙しながら川原側に連絡を入れた柳岡は、今度こそ両会長公認の元、千堂のジム再訪許可を首尾良く取り付けた。なにわ拳闘会きっての問題児が独断で暴走する前に先手を打った体だが、電話帳をめくる柳岡はあからさまにいそいそとした風情で、憧れのボクサーでありトレーナーである宮田の父と語らう機会に浮かれているのは誰の目にも明らかだった。
そんな次第で今回、千堂の上京に目付役として同伴した筈の柳岡は、初日にして既にその監視対象をあっさりと放り出している。遅ばせながらの祝勝を兼ねて川原指導陣と会した割烹に今もまだ腰を据え、ボクシング談義に花を咲かせていることだろう。それはまあ別にいい。毎度口喧しいセコンドの小言から遁逃出来るなら願ったりと、先にジムへ戻る旨を告げて腰を上げた宮田の後を追いながら、千堂は内心ほくそ笑んだ――のだが。
『なあなあ宮田、アレ何や』
『さあ』
『おっ、あの店大阪にもあるで。ワイはあっこのメシよう好かんけど』
『チェーンなんだろ』
店から出て駅を目指し、電車に揺られジムへ着くまで約30分。東洋太平洋チャンプは終始こんな具合で、きょろきょろしながら3歩後ろに続く同行者を振り向きもしなかった。何も、はとバスよろしく観光案内しろとごねるつもりはない。それにしても宮田の応答の素気なさときたら――減量からくる苛立ちとも無縁な時期でさえ、社交的な会話能力というものがここまで欠如していようとは。頗る気の強い生意気な男と知ってはいた筈だが、そのひどい有様を初めて一対一で目の当たりにした千堂はまず驚き、次に呆れ、最終的には腹立ちまぎれの意地がすっかり彼を熱くさせていた。
「ワイがなんぼおもろい事言うてもしれーっと流しよって。おいしいボケ片っ端から殺しよる」
さあ来いや、と投じたツッコミ待ちのボケを無駄に流されて終わるなど、いわゆる『コテコテの関西人』として沽券に関わる。ましてや最後の方は、初心者向けに相当わかりやすく難易度を下げてやったつもりなのだ。生憎とそんな矜恃も気遣いもそもそも見当外れで、受け取る側に少しも響きはしなかったけれども。
「こない勿体ないマネ許されへん。屈辱やで」
「スパーならともかく、漫才に付き合う気はねえんでな」
「っかー!これやから東京モンは!なーんもわかっとらん」
いよいよ如何にも我慢がならず、千堂はだらしなく胡坐をかいていたベンチを蹴った。そのまま大股でドカドカとリングサイドまで進み、コーナー近くでステップを踏む相手との距離を一気に詰める。
「ええか、ワイの地元やったら10分使うてひとつも受けんような奴ありえへんねん。底辺や。ニンゲン失格や!」
「東京だぜ、ここ」
「わかっとるわい!」
インファイターとアウトボクサー、あるいはボクサーファイター。ボクシングスタイルが選手自身の持って生まれた素質に左右されるとすれば、その言動にも自然、同じような傾向が認められるものなのかもしれない。怒涛のラッシュにも似た千堂の口上を、鼻先で捌いて往なす宮田のスウェー。打って打たれての激しい応酬を好む生粋のファイターとしては成程、欲求不満と感じる類のやりとりだ。
どちらかと言えばトレーナー先行にて実現した川原再訪ではあるが、千堂とて嫌々連行された訳ではない。前回のスパーでは、宮田が誇るマックススピードを片鱗すらも体感出来なかった。不完全燃焼によるフラストレーションが燻る一方、自分の味わえなかったあれやそれを、観戦席ではこれでもかと見せ付けられたのだから堪らない。可燃性の高い油は否応なくもたっぷりと充填され、後は火種をぽいと放り込むばかり――要は、十二分にわくわくとやって来たところへこの仕打ちだ。元よりタフネスに不足はなく、諦めの悪さにも定評がある筈の浪速の虎も、流石にそろそろ手数に困る。傍らに人無きが若し、悉くすり抜ける感触にお手上げとばかり、千堂は盛大に溜息を吐き出した。
「…大体、おンどれほど笑わん奴もありえへんわ。何が楽しゅうて生きとんねんホンマに」
「――『笑わない』、…か」
悪態を聞き咎めてか、腹の立つ程に小気味良い靴音が不意に途切れる。てっきり黙殺されるものと思った、殆ど恨み言のようなそれに返る予想外の手応え。あン?と訝しみ眇めた千堂の猫目が次の瞬間、映る光景にぐるりと丸くなった。
改めてそうと知れる、端正な造りの横顔。長い前髪の向こうでやや伏せた瞳に、此処ではないどこかを見ているような、現在ではないいつかを懐かしむような光が揺れている。遠い記憶に思いでも馳せているのか、きつく結ばれた唇が僅かに綻んで。微笑ともつかぬ在るか無きかの、けれど確かに静穏で柔らかなその色は、常に研ぎ澄ました抜き身を連想させる張り詰めた空気を纏う、宮田一郎という男の印象を驚くほど劇的に変化させた。
(……なんや、)
時間にしておよそ3カウント。不意に一発貰ったような衝撃から、千堂がはたと我に返る。あかん、こんなんうっかり見蕩れてもうたみたいやないか。認め難い、というより正直何だかよくわからない状況に困惑する、それでもここ一番の勝負どころを見逃す男では断じてない。今が攻め時と、千堂は初めて出くわす宮田の面様を無遠慮に覗き込んだ。
「わりかし、かわええカオも出来るやん。もうちょいよう見せえ」
「……いい加減、リング上がれよ。アンタ東京まで何しに来たんだ」
堅く構えるガードが些かなりと、下がった不覚に気付いたのだろう。ロープから身を乗り出した千堂をジロリと睨む眼光は途端に険を取り戻したが、その頬には同時にほんの僅か、赤味が差したようにも見える。言い捨てざま距離を取り、グローブ片手にリング中央へと足を進めた宮田の悔悟に少なからず溜飲を下げて、目敏い虎は吼えるように呵々と笑った。
「せやな。どつき合わんと始まらん」
そうだ、そうこなくては。冷静に避けられてばかりはつまらない、正確無比かつ剛毅無謀なカウンターこそ宮田の真骨頂。途端に生気が漲る心地、こと荒事に限っては、売られた言い値で即決買いが千堂の流儀である。
確かに実際、ボクサーに愛想など必要ないのだろう。軽妙な掛け合いも辛辣な舌戦もまあ悪くはないが、結局のところ拳を交えてしまうのが一番手っ取り早く解りやすい。互いのありったけをそこに込め、散々に殴り合う。野暮な斟酌は無用なベストウェイト、最後まで立っているのは果たしてどちらか。涼しく取り澄ましたその面の、他のどんな表情が見られるのか。芯から根刮ぎ暴いてやろうではないか、これこそ正しくコミュニケーションというやつだ。
(――こりゃホンマ、楽しなってきたわ)
くれぐれも短気起こすな、皆が戻るまで待っとけと。優秀なセコンドが先回りで与えた筈の指示も、残念ながらやはりと言おうか、この期に及んで然程の首枷にもなりはしない。ぞくぞくと沸き上がる期待に歌い出したいような気分で、千堂は使い込んだ14オンスを取り上げた。
はじめてのはじっ歩、はじめての宮受け(風)でまさかの千宮(と思ってほしい)。
実は最萌えカプは鷹宮だけども、そちらは読者側で満足しきってて自分じゃ書けない感じなので…(笑)
宮がアレな以上、千堂くらい図々しくガツガツいけるタイプでないと進展しないよね的な。
浪速のロッキーのファイティングスピリッツと好奇心と不屈の意地には大いに期待したいです。
笑わない云々は言わずと知れたタイ編あたり、
おっきくなったチャナとか再登場しませんかねえチャナ宮見たいよチャナ宮!
頑張ってボクシングっぽい言い回し多用したけども初心者ゆえに絶対あちこち間違ってるよすみません